書作品の類別とその特質

漢字作品

漢字は大別して、篆(てん)・隷(れい)・楷(かい)・行(ぎょう)・草(そう)の五種類の書体があり、それぞれに書体そのものの特徴があります。

漠字作品はこのいずれかの書体を基本として、作家それぞれの感覚と個性による制作がなされています。これらの書体は、行・草を除いては、同文の中で混用する習慣はほとんどありません。

篆書

漢字の中で最も早く生まれた書体です。紀元前1700年頃から300年頃までの文字は亀の甲や獣の骨に刻したもの、又は青銅器等に鋳造されたもので、中国の殷・周の時代の頃のものを総称して古文と呼んでおり、その形体はさまざまです。
紀元前300年以降、東周から秦に到って、統制された書体になり、これを小篆といいます。

隷書

この書体の起源も古く、紀元前300年頃の貨幣に残る記録がありますが、盛行したのは漢(紀元前200年以降)の時代です。
実用的で簡便に筆記することを目的として生まれた簡素な書体を古隷と呼び、やがて、美的要求により、横画の末を長く払い出す八分隷という体が生まれて、この書体を代表するようになりました。

楷書

今日の読みよい文字、つまり活字の母体となっているのが楷書です。その発生は後漢(紀元20年~220年)の末頃、隷書に代わる書体として書かれるようになり、三国・六朝・隋・唐にかけて発達しました。殊に唐代は楷書の名家がその書を競って、楷書の黄金時代を築きました。
現代の楷書作品は、むしろそれ以前の六朝時代北派の峻険な石刻文字や、温雅な魏晋の小楷を背景とする表現が多く見られます。

行書

行書は楷書とほとんど同じ時期に生まれた書体で、最も広く書かれている普遍性のある書体です。行書が普及したのは東晋(紀元317年~385年)の時代で、書聖王羲之の書が中心となって、その書跡の芸術性を鑑賞する風習が定着したことによります。それ以後書の名家が書品を競う風習が盛んになりました。

草書

草書の発生は、楷書や行書より早く、紀元前100年頃前漢の時代に書かれたものが近年出土していますが、発達の経緯は行書と同じ東晋の時代に中同全土に広がり、王羲之・王献之を中心とする名家を排出しました。草書は行書と調和することで、その後の書芸術の名品を多く残し、現代の書作品の中で最も大きな位置を占めています。

かな作品

かなは、我が国の言葉を正しく記述する必要から、漢字伝来の後、万葉仮名を起点として、奈良時代に改良され、平安時代に到って完成されました。かなの書が芸術的に昇華されたのも平安時代です。

現代かな作品は、本来の繊細な味わいのものと共に、新しい様式が加わり、大きな紙面を少ない字数で構成する表現のもの等、極めて多彩な作品を見ることができます。

調和体作品

漢字とかなを交えて書く作品。現代文体を広範囲に題材とした作品で、新しい書の愛好者の間で親しまれています。書の作品として登場したのは戦後で、「読める書」として昭和30年頃から書道界に進出してきました。

日展にこの調和体が登場してきたのは昭和36年頃からで、新傾向の書としてどう進展していくのか、注目されるところです。

篆刻作品

一般に篆文を印材に刻るので「篆刻」と呼んでいます。実用印と混同されがちですが、篆刻はあくまでも鑑買の対象として区別されます。

古くは、金属、玉、牙など硬質の材料を用いたので、すべて工人の手になりましたが、元末(紀元1300年以降)青田石という軟質の石が発見されて以来、文人の間で篆刻に親しむ者が多くなりました。清代に入って金石学の興隆と共に高度な芸術として定着し、清代中末期には多くの名家を輩出し、多彩な制作が行われています。

わずか方寸の中に凝縮される古代文字の造形は愛好者が多く、ひそかなブームになりつつあります。