寺久保文宣
会員
ECHO ― 室内の裸婦 ―
F100
作家のことば
室内に三名の裸婦を配しているが、見た目の現実を描くというより、それらが画面としてひとまとまりの景色景観に転調し、さらには一つの光の玉の如くとなればと願っている。たぶん、いつもそういうことを志向していると思うが、そうはならぬ。片鱗よやどれかし。
第二科 洋画
室内に三名の裸婦を配しているが、見た目の現実を描くというより、それらが画面としてひとまとまりの景色景観に転調し、さらには一つの光の玉の如くとなればと願っている。たぶん、いつもそういうことを志向していると思うが、そうはならぬ。片鱗よやどれかし。